見ていたアニメ(2023年1月)
今日現在で終わってるアニメの感想。前回はこちら。
今期はDIY、ぼっちざろっく、ヤマノススメとアニメーションの面白さを見せてくれるきららっぽいアニメが多かったように思う。
異世界おじさんの最終回はいつになるのだろう。
見ていたアニメ
『ぼっち・ざ・ろっく!』
1話、背景を実写っぽく作って、その上に漫画っぽいキャラクターを乗せて動かしてるから、妙な現実感がある。
4話、アー写の撮影場所を探すカットが悉くアー写っぽいレイアウトという高度なギャグ。バグるぼっちの表現といい、DIYのような動きで見せるアニメとも違って表現の多彩さの方向でアニメがうまい。脈絡のあるポプテピピックみたいな。きららアニメだと、ひだまりスケッチの予算を豪華にしたような味がする。
明るい喜多ちゃんにひとりの作詞した暗い歌詞を歌わせるの、きららにぼざろを連載するイメージとダブる。
7話のあと「喜多 ふたり」でついったーを検索して感情を摂取していた。10年後の二人の関係に期待。
8話、居酒屋のサラリーマン二人、あの後ホテルに行って爛れた関係になると見たね。おれはくわしいんだ。
ひとりが一歩踏み出すシーンは、エフェクターの操作か。手元だけを見てバンドの音に集中するひとりと、周囲の反応を見て、それに影響される喜多ちゃんとで性格の違いがはっきり出ている。
ぼざろはギターヒーローの貴種流離譚的な面白さもあるんだけど、序盤のそれはどっちかというとおまけで、結束バンドの面々が、ほぼ無条件でひとりを受け入れたことがストーリーの骨だったかも。ひとりはギターヒーローだったからこそ外へ踏み出せたというのはもちろん大きいけど。プリパラの「プリパラは好きぷり? じゃあ大丈夫、できるぷり」の気持ち。
文化祭編、喜多ちゃん、ギターできると偽って結束バンドに加入して裏で猛練習したり、誤って捨てられたと思い込んだふりをして文化祭の申込用紙を出したり、自分がなりたい未来に向けてのマニフェストとして嘘をつく。後先を考えすぎて踏み出せないひとりと、後のことを考えると多少アウトだとしてもやりたいことのために踏み出してしまう喜多ちゃん。彼女は嘘を本当にしようとする努力の子だけど、これまで本当にできなかった嘘もあるはずで、たとえば中学の同級生から嘘つき女呼ばわりされてたりしたらそれはそれで味わい深いと思う。
最終話、転がるカップ酒、君が客に降る。EDのひとりのへろへろした歌い方がいかにもひとりって感じ。
喜多ちゃんがひとりになれないように、ひとりも喜多ちゃんにはなれない。ライブ中の喜多ちゃんは本当に周りをよく見てそれに反応する。初ライブではそれがデバフになったけど、文化祭ではバリバリにバフとして乗ってくる。周りをちゃんと観察できるのだって一種の才で、それはひとりにはできないこと。
ネット上での盛り上がりを見ていると、これは音楽版のガルパンだったのかもしれないなと思ったり。ガルパンはミリオタおじさんたちが異様な盛り上がりを見せて、早口で戦車その他の知識を解説する人とかが随所で見受けられたけれども、ぼざろも扉絵のオマージュ元となっているジャケットの紹介とか、音楽の系譜の解説とかで一種似た様な盛り上がり方をしているような感じを受ける。ガルパンでは影響されて模型趣味を再開したおじさんが居たけど、ぼざろでは影響されてギターを引っ張り出してきたおじさんを観測できた。自分は戦車の方は多少わかるけど、音楽は本当にさっぱりなので、戦車に詳しくない人から見たガルパンの盛り上がり方ってこういう感じだったのかなと思ったりしている。
ぼざろは主人公がほとんど歌わないけど、けいおんどころか響けユーフォニアムですらEDは主要登場人物全員で歌ってたしキャラソンも出してたんだよなと思うと、隔世の感がある。
『チェンソーマン』
見ている途中は、製作者が独りよがりな趣味に突っ走って邦画ナイズしたアニメ化だなと思ったし、反発があるのもまあ当然だなと思って流し見しがちだったけれども、最終回で評価がひっくり返った。
このアニメは「アキと姫野先輩の物語」だった。原作はデンジの視点に沿って作られた物語だから少年漫画的だけど、アニメはアキと姫野先輩の視点に沿って作られたものなので、バトルは地味だし妙に邦画っぽいしデンジが脇役だった。アキがデンジやパワーという理解しにくい他者との出会いや、姫野先輩というかけがえのない存在との出会いと別れを通じて成長する話として原作を思いっきり読み替えたアニメで、原作をサムライソードまでやるなら、たしかにその視点の変更は有効に作用していたと思う。
視聴者は当然のごとくデンジを主人公にしたチェンソーマンを期待していたわけで、そこに齟齬が生じるのは覚悟の上だったろう。最終回はその視点の齟齬を強制的に解消させるかのように徹底的にアキを中心としたドラマが作られていたように思う。
原作の読み込みの甘さなども指摘される本作ではあるけれども、個人的にはこういう野心的なやり方は嫌いじゃない。応援したい。
『SPY×FAMILY』1期後半(13-25話)
1期前半から引き続いて可もなく不可もなくというアニメだった。終盤は飽きてきて見るのをやめようかと思ったくらいだったけれど、フィオナ・フロスト役の佐倉綾音の怪演に引きずられて最後まで見てしまった。なんだあれ。あまりにもキャラが立ちすぎている。3期はフィオナ回だけで1クール作ろう。
『PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL』
1期とは監督が変わった2期。1期のような変幻自在で行先不明のストーリーテリングはやっぱり天才の所業だったんだなというのを再確認しつつも、まあこれはこれでといった感じ。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1クール
水星=マーキュリー(メルクリウス)=ヘルメス(エルメス)で、スレッタの肌と瞳の色もララァと同じ。もしかしたらこれは、エルメスに乗った魔女、ララァ・スンに捧げられたガンダムなのかもしれない。ガンダムは、ようやくララァを始めとしたガンダムヒロイン(特に富野作品のそれ)を神秘的な存在や男たちの理解者という視点から解放して、等身大の女の子として描けるようになったのかなと思ったり。
今回のガンダムに多様な女性たちが登場するのは、真っ向から女性を描いていくぞという覚悟の表れでもあると思う。TVシリーズのガンダムで女性が主人公なのは初めてで、正直やっとかという感じもあるのだけれど、それでも主人公に女性を据えてまっすぐガンダムをやることは意義があることだと思う。
そういえば、ニュータイプ系ガンダムヒロインは幽霊状態のほうがデフォルトなことが多かったですね……。
今回、ガンダムの割にはMS戦の回数が少なかった。富野ガンダムの場合は理由をつけて律儀に毎回MS戦をねじ込んじゃうところがある。2クールしかないGレコでもそれをやっていたので、戦闘によってストーリーを語る時間が削られて、わかりにくい話になっていた気がする。一方で富野ガンダムで育った人たちが富野のハサウェイを映画化すると、MS戦は脇役で、しかもそれでちゃんと面白い。ガンダムは話の中心でなくてもいいんだという時代の変化を感じる。今回のガンダムが人間ドラマ中心なのも、あるいはハサウェイの映画から影響を受けた面も多かったのかもしれない。
11話、レイニー止めのあとのパラソルをさしてはこれくらいやってほしかったという古のわだかまりが解消された気分。
12話、プロローグの因果が巡った話だった。プロローグがハッピーバースデーだったので、12話はメリークリスマスの予定だったのかも。デリングパパ、娘と出会ったときの第一声がノーマルスーツ着ろなのでめちゃくちゃ娘の心配をしている。親子揃ってツンデレなのでコミュニケーションがうまくいかない。実況の遠藤くんと解説の小林さんが必要。
『後宮の烏』
架空の中華風王朝の後宮を舞台として、主人公の寿雪が死者の心残りを探り当て、それを解消するファンタジー。
主人公にできることが死者を楽土へと送ることなので、主人公のもとに話が持ち込まれた時点ですでに事件そのものは終わっていることが多い。あと、舞台が基本的に後宮内なので、自然と後宮内でバタバタ死人が出た話になる。
人との交流を避けていたちょっと四宮かぐやみたいな性格の寿雪が、皇帝の高峻との間にゆっくりと友情?を育んでいったりするあたり、ラブコメとしてもけっこう楽しめた。
3話の時点で作画にやや息切れ感が出ていたので大丈夫かなと思ったが、それ以降は最後まで作画は安定していた。何だったんだろう、あれ。
ところで、寿雪を変換しようとして壽雪という字が出てきたので調べてみたら萩焼の人間国宝らしい。萩にしてはずいぶん白くて荒っぽい印象のやきものをつくる人だった。
『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』
近未来をちょっと懐かしいようなタッチのアニメーションで描いていて、電脳コイルっぽさを感じる。ここにぶたくんのメモリアルを建てよう(やめなさい)。
せるふとぷりんという幼なじみ同士のすれ違いから始まる物語だけれど、ぷりんがせるふのもとへ行くのを阻むようなガラスが、いろいろな形に変化して、ぷりんの心中を表現しているのが面白かった。
しーは東南アジアの出身だけど、名前が日本語なのは具体的な出身地をあいまいにする意味もあるのかしら。
3話、ちょっと一本気な部長、落ち着いてよく物事を観察するたくみ、マイペースなせるふと、それぞれの性格がよく脚本と噛み合ってて面白かった。「小学生かよ」「小学生ですよ、年齢的には」のやりとりが好き。
4話、相変わらずアニメーションが面白い。ジョブ子が意外なトリックスターぶりを発揮してぷりんを巻き込んでいく。ハンモック編んでる枠、竪機ってのの原始的なやつでは。
6話、窓ガラスからシーグラスへ、せるふとぷりんを隔てるガラスはだいぶ小さくなって、ぷりんが踏み出すまであともう少し。せるふあたりは水着の着替えを持ってくるのを忘れてそうなイメージ。
11話、ぷりんは最終的にせるふが招くことであのガラスを越えられたのか。ぷりんが意地を投げ捨ててもなかなか気づかれないあたり、やはり鈍感が極まってるせるふがわるいのでは……。
12話、ブランコは「二人にとって本当に必要だったもの」かな。最初に作ったスキー板のベンチでも、ツリーハウスでもなくて、二人で一緒にブランコを作る時間こそが二人の関係にとって本当に必要だったもの、という含意か。
部室が思った以上に派手に蚕食されてて笑う。ぷりんの抱えていたガラスも、ウインドチャイムとなってセルフとぷりんの間の新しい思い出に加えられていく。過去の思い出は宝物だけど、新しい思い出もさらに作っていこう、という。
通して見ると、せるふとぷりんがお互いに甘える相互依存的な関係から、それぞれが自立したパートナーとしての関係に組み変わる過程を描いたアニメだったかも。関係の成長とでもいうか。
『ヤマノススメ Next Summit』
NSは、オリジナル展開で文脈力を上げていって、最後に上がりきった文脈力で原作エピソードをブーストする構成と考えると3期と構造自体は一緒。序盤に総集編で富士山挫折を入れ込んだのも文脈力を上げるためだろうし。ただ、3期は監督の百合趣味というか作家性が強く出た作品だったけど、NSはスタッフそれぞれの個性を活かしてのびのびと作られた作品という感じがする。楽しんで作っているなというのが見ていて伝わってくるアニメだった。
6話、もうじきひなたの誕生日だぞ祝えの圧が強いEDの入り。Aパート、棒ノ折麓のダム湖。棒ノ折には登らなかった。カメラの視点が自由自在だ。ひかりさんは説明抜きでも失恋とわかるけど流石にそれだと説明不足か。
7話、脚本絵コンテ演出作監を一人でこなしてるのはすごいというか笑う。かすみさん、3年間ずっとあおいのことを追ってたわけで、だいぶ感情がヘビーよね。
9話、鎌倉アルプスは紫陽花の時期に傘さして逆のルートで行ったな。鋸山は日本寺を通らないルートか。
11話、須走ルート最難関は御殿場駅の乗り換えのバス停がわかりにくいことかも。
12話、絵面が豪華。須走は自分も歩いたルートなので色々と感慨深い。口笛とか、外国人カップルとかの前回の富士山登山エピソードを丁寧に回収して、最後の最後に1期のED曲のスタッカート・デイズで締める。
2期のあとにニコ動の口笛MADを見過ぎて、口笛だけで笑ってしまう体になってしまっていた。
おまけ:22年アニメ10選
個人的に面白かった順で。その他にまぞく2期、虹ヶ咲2期、着せ恋、トロプリ、かぐや様3期とかもとても良かった。
『平家物語』
『古見さんは、コミュ症です。』2期
『スローループ』
『ヒーラー・ガール』
『ぼっち・ざ・ろっく!』
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』
『ヤマノススメ Next Summit』
『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』
『神クズ☆アイドル』
『明日ちゃんのセーラー服』