『ゴジラ −1.0』見てきた

ネタバレ戦闘機のCGがあまりにも安っぽい。

 

復員庁の戦争を描いた映画というか、「政治的に正しい太平洋戦争」をやりたかったんだなという感じが強い。その点では劇場版艦これだったとも言えるかも。

政治的に正しい太平洋戦争」への違和感として、私の中の左翼が「国家の存在を希薄化させて、個々の〝英雄たち〟による救国の物語として戦争から政治性を拭い去ろうとするのは、極めて政治的な戦争賛美、戦争責任回避のやり口ではないか。この作品には批判するべき余地がある」と話していた。そこまでは穿ち過ぎだとしても、逃げた特攻くずれが改めて特攻をすることで罪悪感を精算するというのはだいぶ危ない物語展開だと思う。

 

色々と詰め込みすぎだしアラも多い。役者の演技が現代劇なので違和感がすごい。45年なんか全ての役者の全ての演技がペラッペラでクズ。これはたぶん役者がどうこう以前に演出方針がぶれてたんじゃないかなという気がする。全体にモブのほうが昭和感を出して頑張っていた。

前半は「この世界の片隅に・戦後編」がやりたかったのだろうけれど、戦後の行動規範を持った現代人という破綻したキャラでストーリーを構築してしまったので変になってしまった。あれを成立させるには、戦後を生きる人々と観客との橋渡しができるすずさんのような狂言回しが必要だった。

機雷の掃海とか駆逐艦の提供とか、かなり細々と戦後海軍(復員庁)の活動について作中に盛り込まれている。戦後の人々の暮らしや社会についてもよく考証したようで、それを盛り込みすぎた結果が特に45年に顕著な台詞が多くて薄っぺらい人間ドラマになってしまった印象を受ける(とりあえず特攻帰りの主人公を非難しておく近所のおばさんとか、一応触れられるパンパンの存在とか)。見る側としては多すぎると感じるけれども、作る側としてはあれでも台詞を削りに削った最小限の量なのだろう。

そういえば、あのおばさん、特に働いているような描写もなかったけど、どうやって生計を立てていたのだろう。

復員庁周りはあんまり大っぴらには描かれていなかったので、庵野を監督にして、政府側の担当者を主役にGHQその他と交渉して艦船を用意したり、エージェントを派遣して民間主導の体でゴジラ対策組織を立ち上げる裏ヨジラが成立するなとも思ったり。

 

文句ばっかり延々と出てくるけど、人間がウルトラマンのような超常の力を借りずに、自分たちの持てる力で怪獣を倒す物語としては良かったし、全体を通してみると、よく頑張ってまとめ上げたなあという感想になる。佳作と怪作の間くらいの評価。前回がシンゴジだったせいもあって、どうしても辛めの評価になりがちだけど、90年代のVSシリーズをちょこちょこ見てきた世代としては、あのへんのトンチキ展開の延長としては充分すぎるほどの秀作だと思う。

 

原爆の被害者でもあったこれまでのゴジラとちょっと違う点として、今回のゴジラは擬似的に原爆を落とす側に回っていて、原爆の加害者としての面が強調されている。ウルトラマン日米安保の米軍を神格化したものだとするならば、今回のゴジラは核を落とした大戦中の米軍を悪魔化したものと言えると思う。

疑似原爆のシーンでいうと、ヒロインが強風オールバックされるシーンは結構気に入っている。あれ見た瞬間終わったわって気持ちになったし、「原爆」の悲惨としてもよく描けていたと思う。ラストのヤケクソハッピーエンドも嫌いじゃない。

 

終盤、駆逐艦同士がすれ違う場面を見てて、これ『はいふり』で見たやつだという感想になった。実質的に攻撃が無効化された状態で駆逐艦が創意と工夫でなんとか作戦をやり遂げるというのは、まさしく『ハイスクール・フリート』のコンセプトだったと思う。『はいふり』もよくわからんウイルスなんかと戦ってないで怪獣と決戦しとけばよかったのでは。

 

今回の映画によって艦これのサンマ漁イベントがゴジラ退治の隠語だった可能性が出てきた。サンマ漁の名目で民間に貸与された艦娘は、本当は怪獣退治に従事していたのかも。そのサンマ、本当は深海魚じゃない?