『アリスとテレスのまぼろし工場』見てきた

アリスとテレスってなんだよ!(定型句)

やっぱり今回も秩父じゃねーか!(冒頭の特徴的すぎる武甲山ピラミッドを見て)

 

舞浜サーバーの人々がAngel Beats!な生活を送る話だったかも。妊娠したところで街の時間が止まってしまって、大きなお腹を抱えたまま空っぽのベビーカーを押し続ける女性の描写がエグいなと思った。

わしらはこの街が終の棲家だけど、未来のある若いやつはいつまでもこんな寂れた街に居ないで、電車に乗ってどんどん東京に出ていきなよっていう映画でもあったかもしれない。ラストで五実がわざわざタクシーに乗って工場を訪れているということは、一家はもうあの街から出て行っているということでもあるだろうし。

岡田麿里、思えば『あの花』の昔から時間が止まった相手とは恋愛ができないというのは一貫していたし、失恋したやつこそが物語にとっての正ヒロインみたいなところがある。五実は失恋をすることで物語の中心になったのだろう。

そういえば、90年代初頭は「いつみ」といえば逸見政孝だったので、あの名付けはちょっと違和感がないでもない。

 

アリスとテレスは作中で一回も言及されないので本当に意味が不明なタイトル。

ただ、『心が叫びたがってるんだ』では、劇中劇の『青春の向う脛』とタイトルが入れ替わっているんじゃないかなと感じるところがあったので、もしかしたら『アリスとテレス~』も作中にちらっと出てくる哲学バトル漫画のタイトルと入れ替わっているのかもしれない、とは思った。

 

今回は、かつて繁栄していた街の衰退が一つのテーマでもあるので、そのまま秩父を舞台としては描きにくかったのかなという感じがした。とはいえ冒頭から武甲山の特徴的なピラミッドが登場するし、工場の元ネタは、まず間違いなく秩父市内にかつてあった秩父セメントの第一工場だろうと思う。石灰を鉄鉱石に変換したか。秩父じゃないことの言い訳として取ってつけたように海を出したので、海にまつわる生活感は薄い。

そうそう、武甲山ではかつて石灰を掘るために頂上にあった神社を脇にどかして、頂上を削り落としているので、神様には怒る権利がある。神様は怒ってたわけじゃないらしいとは言われてたけど。

 

本作は、テーマ的には『空の青さを知る人よ』で提示したテーマをさらに深掘りしていたように感じた。

『空の青さを知る人よ』は、盆地である秩父を閉ざされた井戸に見立てたものすごいタイトルで、両親が事故死して、妹を育てるために恋と上京を諦めて秩父で暮らしている姉と、そんな姉に対して罪悪感を抱いている妹の話なのだけれど、『アリスとテレス~』ではそこから更に進んで、田舎の盆地である秩父のもつ閉塞感に対する反発と、90年代初頭の秩父に対するノスタルジックな郷愁という、故郷に対するねじれた感情が見事に描かれていた。

まあ、個人的な思いを言うと、秩父から出てさらにど田舎に住んでた身としては、そうはいっても、秩父にはそこそこの大きさの本屋もあるし、徒歩で回れるちゃんとした街があるし、ああいうところに住みたかったなあというちょっとしたあこがれの対象でもあった(熊谷まで行くと本当に車がないとどうしようもない感じもあり)。映画館が無いのはあの頃の埼玉北西部に共通した文化的な貧しさではあり……。