すずめの戸締まりのこと

 見た。

 

 ファーストインプレッションとしては、神殺しが終盤のテーマになっていて、神を殺した上で人の生活が成り立っている、人の生活が成り立たなくなったほころびから神が復活してきてしまう、みたいなところから、これは「もののけ姫2~逆襲のシシ神~」だったんじゃないかなというのがぼんやりした感想で、今回もしかしてジブリオマージュが結構色濃いのではという色眼鏡をかけてみると、真っ赤なオンボロイタ車紅の豚に見えてくる、みたいな感じ。まあ、猫と少女とルージュの伝言だし。

 他作品のオマージュという意味では、限りなくシステムに近い不気味なマスコットや、自らの生を差し出すことをためらわない主人公という点で、偶然にもあの災害を想起させるアニメの嚆矢となってしまったまどマギを参照しているのかなと思うようなところもあった。他の人と話したら、エヴァっぽいところもあるという意見を聞いた。

 

 前作の天気の子と比較すると、天気の子がシステムとしての社会の冷たさや、社会から排斥されたものの貧しさを描いたのとは対象的に、すずめの戸締まりは人の集合としての社会の温かさ、人のつながりがもたらす豊かさみたいなものに徹底的にフォーカスしていたように感じる。あと、どちらも主人公が船で旅立つところから物語が動き出すのもたぶん意図的なんだろうな。

 

 ダイジンの正体がいまいちよくわからないところがあったけど、あれはあれで人の願いが込められた神様だったのかもしれない。デザイン的にも縄文時代から延々と受け継がれてきた神像とかであってもおかしくないし。子猫の姿だったり、すずめからの好意の有無によって姿が変わるのは、それが信仰を失った神の姿だからなのだろう。左大臣がデカくて立派でダイジンみたいにすねてなくて職務に忠実だったのは、おそらく江戸城地下の、ある程度信仰ポイントが稼げる場所に鎮座していたからなのかなあと。

 ダイジンとすずめの間には、おそらく神と巫女の関係が結ばれている。天気の子と同じように、今回もヒロインはやっぱり巫女なのだ(君の名は。は見てないから知らないけど)。SNSでの投稿をある程度コントロールしているように見えることからも、ダイジンには人の意思を誘導する程度の能力があるのだろうと思う。天気の子にくらべてすずめの家出行が異様なほどにスムーズに進行することや、すずめの滞在先が千客万来だったり、出会う人がみんなすずめに親切なのもダイジンの加護によるものだと思う。天気の子だったら途中で警察に捕まっていた。草太がなぜかダイジンに嫌われて呪われたのも、せっかく見つけた自分の巫女であるすずめの処女性を奪いかねない存在だからという意味があったのかもしれない。

 

 ここから先は完全な与太話だけど、扉と鍵というモチーフや、草太の部屋にあった文献の新しさからするに、鍵をかけるという儀式は実はそこまで古いものではないのではないか。さらには本来は自然のものであるはずのミミズが人の作った戸からしか出てこないというのを考えると、誰かがミミズに扉と鍵のルールを押し付けて封印したのかなという感じもする。

 天の岩戸や宗像三女神といったアマテラスの神話に由来する名字を持った登場人物が、八咫烏のような三本足を先導役として、天孫降臨の南九州を降り出しに東へ東へと旅をするということで、主人公一行は天津神代理人として荒ぶる国津神をシメて回っているようにも見えなくもない。