シン・ウルトラマンのこと

 アニメ平家物語びわは自分が見たことをもとに平家物語を語ったし、鎌倉殿の義経は自分の武功を盛って法皇を始めとして周囲に吹聴していた。梶原殿もあれだけ強火の義経オタクなんだから自分の見た義経像とかを記録に残しておくべきだったんだよなと米津玄師のM八七聞いて思った。自ら語らないものは鬼畜脚本家にいいように弄ばれてしまうのだ。

 そういうわけで、自分でもシン・ウルトラマンのことを書いておこうかという気持ちになった。

 

 最初にシン・ゴジラのタイトルが出てきてからシン・ウルトラマンのタイトルが出て、それからウルトラQ的な事例(ここで巨大不明生物というシンゴジと同じ名称が使われている)が矢継ぎ早に提示されてからのウルトラマン初登場の事件。これはシンゴジの後から怪獣災害が頻発するようになって、今回の話につながっているという読み方をしても許されるのだろうか。そういえばエヴァに続いて今回もQからシンなんだな。庵野エヴァQ2とウルトラQの二つのQ映画を作るべき。

 

 SFとしては、ベータカプセルの秘密というか、ウルトラマンが人間から巨人に変身する存在である、ということをひたすらSF的に突き詰めた一点突破の作品であったなあと思う。ウルトラマンという特異な存在がどのように変身しているか、またその技術が存在することで国際社会としての宇宙にどのような影響を及ぼすか、という。巨大化に関してはスパロボで見た銀河旋風ブライガーのシンクロン原理と似たような理屈だなと見てて思った。

 人類と外星人を融合させたウルトラマンという生物兵器にも転用可能な技術を、偶然とはいえウルトラマン自身が開発してしまった。その「あとしまつ」をどうつけるかという物語だったようにも思う。

 

 ウルトラマンとしてみた場合は、人間はいかに怪獣に立ち向かえるか、というわりと普遍的なテーマを地道に追っていた気がする。このへんのテーマはシンゴジから一貫していたかも。

 メフィラスから箱を奪うくだりの説明を聞き逃したので、調印後に禍特隊が箱を奪う意味みたいなのがちょっとあやふやだけど、あれも人間が箱を奪うことに意味があったようだったし。

 ウルトラマンゼットン対策を禍特対に考えさせたのは、そうすることでゾーフィーに人類のいいところをアピールするという意味もあったのかなあとも思いつつ、とはいえこいつあっさりザラブに誘拐されたりちょっと抜けてるところもあるからなあとも思ったり。

 そういえば、カトクタイの略称を使うための禍威獣表記か。ウルトラマンオーブSSPは科特隊のSSSPからSが1個減ってるっていうパロディだったんだなって今更気づいた。

 そもそも、禍特対がちゃんと作業服とヘルメットを着用していれば、神永は頭部への衝撃で死ぬことはなく、ウルトラマンが誕生することもなく、ザラブもメフィラスも傍観姿勢を貫き、何事もなく済んでいたような気もする。現場に行くやつはスーツなんかで仕事するなという映画だったかもしれない。

 

 最初期のウルトラマン神永はアヤナミレイ(仮)っぽくもあり。神永の遺体を眺めてるところや、人間とはなにかを一通り学習してからオリジナルの神永にすべて放り投げて消えてしまうところもアヤナミレイ(仮)っぽい。これはもしかしたら因果が逆で、ウルトラマンを人間としてのキャラクターに落とし込むと綾波的な存在になるのかもしれない。人類から外れた人類というか。ぜひウルトラマンの姿で長靴はいて田植えしてほしい。

 ウルトラマン自身が語っている自分の立ち位置って、人類学とかだとシャーマンや呪術師の立ち位置だよなあと思ったり。社会の周辺にいてウチとソトを媒介する存在。神永はウルトラマンという心霊に憑依されたシャーマンという見方もできなくはないか。

 

 ところで、神永の机の端っこの消波ブロックはどういう意味だったんだろう。