新年明けまして最近見てたアニメ

 明けましておめでとうございます。去年から始めた1クールごとのアニメ感想記事も4回目となって一年分となりました。と言っても今回はまだ新アニメの方の選別が終わってないので「最近見てるアニメ」は後日になるのだけれど。というか「見てる」と「見てた」を一度に処理しようというものぐさ戦略は8/31の宿題現象を引き起こしてめんどくさいことが判明したので今回は分けてみることにする。

 もとより記憶力はあんまりいいほうじゃないので、記録しておこうという気持ちがないと見たそばから忘れてしまうなあというのと、やっぱりちょっとしたことでも1話毎の感想なり何なりを書き留めておくと作品全体を通しての解像度が上がるなあというのを最近実感している。

 ついでに、1クールごとに見てるアニメと見てたアニメに分けて感想を書くという方法は、作品ごとの総話数にかかわらずに12話くらいを一まとまりとした感想が書けるので我ながらわりとかしこい方法だったかもしれないと思ったりしている。

 

『月とライカと吸血姫』

 最近なんとなくたいたぬ実況のカーバルスペースプログラムが気に入ってずっと見ていたのだけれど、最後まで見終わってしまってから、もう少しロケット分が欲しかったので、積んでいたこれを見ることにした。度胸とバカっぽさは宇宙飛行士に必須の素質。

 架空のソ連風国家で人間の代わりに宇宙飛行の実験体になる吸血鬼のお話。スターリンの葬送狂騒曲みたいなのを想像して身構えていたが、あれに比べるとよっぽど平穏なアニメだった。秘密警察も半分味方だったし。そもそもあの国の人達、みんな体制に批判的すぎるのではないか。あれでは放っておいてもそのうちクーデターかなんか起きて体制があっさりひっくり返っていたかもしれない。

 必要以上に身構えてしまったのは、このまえ溶鉄のマルフーシャをやってたせいで、東側っぽい国家のヒロインは全員バッドエンドというのが強烈に刷り込まれていたからというのもある。アーニャとかマルフーシャに出てきて悲惨なエンディング迎えてもおかしくなさそうな顔してたし。

 吸血鬼要素がなんか薄くないかとも思えるのだけれど、最後まで見ると、これが人種差別を示唆するものだったとわかる。冷戦時代にアメリカが人権問題を真面目にやってたのは、共産主義と張り合う上で人道的にも優位に立つ必要があったからだってこの前読んだ岩波新書アメリカ史にも書いてあったっけ。具体的にはアメリカ国内の黒人差別をどうにかしないとアフリカ諸国にそっぽ向かれて東側に取られちゃうからだとか。冷戦は人権競争でもあったのだ。ロシアの場合は人種差別で有名なやつというとユダヤ人に対するポグロムが挙げられると思う。そういったあっちこっちの国々の人種差別を一緒くたにまとめて抽象的に語るためのからくりが本作における吸血鬼だったと言えると思う。終盤、イリナが最初の宇宙飛行士だと明かされる場面で、イリナに対してヘイトを浴びせる群衆の中の青年がレフそっくりだけれども、あれは1話以前の吸血鬼に対する無知と偏見に囚われたレフそのものを示唆していたのかもなあとも思ったり。

 林原めぐみツンデレヒロインにアリプロの音楽というあたりであの頃のオタクっぽさが濃厚に滲み出している感じがするけれど、学校のような施設で一定の期間を過ごし、たくさんのヒロインの中から攻略対象との親密度を上げてトゥルーエンドを目指すというのはまさしくあのころのエロゲの構造だよなあとアーニャルートや秘書官ルートを想像しながら見ていた。

 

『MUTEKING THE Dancing HERO』

 プリティーシリーズ外伝と言われても納得するレベルの歌って踊るタツノコのヒーローもの。

 個人的に最終的な評価はだいぶ否定的なんだけど、正体不明のヒロインのアイダさんに高橋李依の何を考えているのかわからなくて不安になる声をあてたのはかなり良かったと思う。アイダさん周りのエピソードは結構好き。てっきり最初はボーカルドール的な存在かと思いきや実際はメカ姉ぇだったという落差と、でもそこにはちゃんと心があったという結末で救われる気持ちになる。アイダさんの話は昔プレイしたメタルマックス2でのマリリンというキャラクターのイベントを彷彿とさせるところがあって、余計に思い入れが深くなった。マリリン……。11話でアイダさんがクリィミーマミみたいな衣装を着て歌ったところがこの作品のクライマックスだったと言ってもいい。

 とはいえ最終回がぐちゃぐちゃすぎる。ストーリーをちゃんとやりたいなら序盤にいくらでもやる時間があったろうに、最終盤にもなって強引にまとめようとするから悲惨なことになっている。ゲーセンの4兄妹とか姉とか結局役割が中途半端で不明確なまま終わってしまったし。こんなひどいものを見たのは久しぶり。もう少しちゃんとシリーズを構成して欲しかった。雑だけど雑なりに楽しんで見ていただけになんとも……。

 

『やくならマグカップも 二番窯』

 やきものに関わることでぎくしゃくしてしまった家族の関係性を、やきものを通じて再構築するおはなしだったように思う。やきもののせいで遠い存在になってしまった祖父/母を再び手の届くところまでたぐり寄せるとでもいうか。やきものを通して悩める青年が自己を確立してゆく清く正しい思春期アニメだった。

 2期は実写パートもやきものに関わる内容なことが多くて、ちょいちょい見たりしていた。

 絵柄のせいできららっぽい作品なのかなと思って気楽な気持ちで見始めたら、意外に骨太で真面目なテーマをどっしりと中心に据えて語るものだから、ちゃんと受け身が取れずに表層的に見て終わってしまったうらみがなくはない。

 

『ヴィジュアルプリズン』

 ヴィジュアル系バンドを組んで互いに鎬を削る3組の吸血鬼たちの日常を描いたアニメ。面白くて変な作品だった。シリアスとコメディを自在に行き来する感じはノブレスと近いところがあったかもしれない。ノブレスも吸血鬼みたいな不死者が日常生活をおくる話だったし。

 6話とかが典型的だったけど、開幕金爆ゲスト出演からの、デビューライブに向けての地道なチラシ配りからの、ライブ中の耽美な剣戟戦闘と、1話の中でも温度差が激しくて風邪ひきそうになる。ライブ中にファンタジー空間で幻想的なバトルとかするのに、ゲリラライブの準備の際はちゃんと役所で道路使用許可申請とかするんだぜこいつら。

 萩の月のコラボCMで爆笑した。

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古見さんは、コミュ症です』

 クラスで二人きりで話をしていた1話から始まって、クラス全体で文化祭に参加する最終回できれいに締めた。1話の時点ではアニメ化の方向性間違ってない? って不安だったけど、よく面白さを保って最後まで駆け抜けた佳作だと思う。スーパーカブもそうだったけど、アニメーションの演出の丁寧さで原作の解釈をねじ曲げてくる作品は、見ているとどこまで原作に対してアニメ側の解釈を押し通せるのかという緊張感がある。あとやっぱりすごくサンデーっぽい作品。

 とはいえ完成度としてはやっぱり1話が飛び抜けているし、アニメのテーマとしても1話であらかた語りきっているところがあるので、人にすすめるときは、1話で完成してるから1話だけ見ようって言うと思う。

 古見さんのアニメにもし中高生の頃に出会っていたら、きっと1話見た次の日には本屋で漫画全巻揃えて本棚の一番いいとこに並べるくらいには心に深い爪痕を残していただろうと思う。

 

最果てのパラディン

 地味で抹香臭いアニメだった(褒めてる)。異世界転生ものによくある欲望への忠実さみたいなものがスポンと抜けてて、そこに求道的とまでは言わないものの、真っ当さの希求みたいなものが入っているので、脂気が薄い精進料理を食べている感じがする。胃に優しい。異世界転生して無双する話じゃなくて、異世界転生して成仏を目指す話とでも言うべきか。地味過ぎて可愛い女の子のレギュラーキャラがビィくらいしかいないけれど、その分ビィが超可愛い。

 5話、Cパートに描かれたような、絶対に実現しないささやかな幸せを語る「渚にて…」みたいなシチュエーションがわりと好きなんだけど、こいつらの場合このあとウルトラCが発生して実現しちゃうんだよなあと感慨もひとしおまでいかないはんしおくらい。

 生前にはできなかったことが死んだあとで実現したという意味では、主人公もその育ての親も同じように二度目の人生を生き直したと言えるのかも。

 6話、モブキャラクターがバカじゃないのでストレスフリーに話が進む。そろそろメインヒロインが出るころかなと思わせておいてハーフエルフ美男子の登場。これほんとに異世界転生アニメか?

 「鍛え抜かれた筋肉による暴力があれば大抵のことは解決する」シリアスな場面に迷言をぶっこむなw 「お金で解決できませんか」と言う場面で背景にガスを描くだけでギャグになるのすごいな。わりと穏当な解決策を真面目に提示してるだけなのに。

 

『アイドルランドプリパラ』

  まだ完結してないというかシリーズ通しての正式な配信は先のことなのでここに入れていいのか迷うけれども。#00と#01だけ。先日先行配信された#02は見てない。映画館でかかるというなら見に行こうかという気にもなるのだけれど。#00と#01はyoutubeで配信中なので、やくもで芹澤優を知った人とか、虹ヶ咲で久保田未夢を知った人とか、ちょっと下の再生ボタンを押して一話だけでも見ていかないかい。

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 #01は虹ヶ咲アニメの1話と6話を足して2で割ったようなアイドルのデビューの話。かつてアイドルになりたいという夢を周囲に笑われたことで自信をなくしている子が、プリパラに来て変身して(これって一種のバ美肉だよな)、ステージに立って観客から励まされることで少し自信を取り戻してライブで暴走するというベタだけどいかにもプリパラって感じでいいよねな話。

 みれぃの「プリパラは好きぷり?」「なら大丈夫、できるぷり」メソッドを中途半端に継承してしまったらぁらの暴走によってステージに上げられてしまったあまりを結果的に観客の汚いガヤがフォローする形になってて、プリパラはこういう「なりたいものになること」を全力で肯定する場だったなあと懐かしい気持ちになった。人には自分を無条件で肯定してくれる場所が必要なのだ。今回一番の名台詞はガヤの「き゛っ゛と゛輝゛け゛る゛」だと思う。ガァルルの地下パラでのデビューを思い出すというかそもそも今回はプリパラ全体が地下化してしまっているというか……。

 われわれはアイドルタイムで訓練されたので、ミーチルの意味不明なセリフが全部理解できてしまうのだ……。

 サイリウムチェンジ……じゃなかったけれどやはり衣装がゲーミングな感じに光るのは健康に良い。人類はもっと衣装を光らせるべき。

 #00はほぼファンサービス回。狂気の米アイドルがその狂気をもってプリパラの異常を相殺する話。話の順序としては1話を見てから前日譚となる0話を見る流れ。

 あちこちのプリパラに散らばってるキャラクターたちを一箇所に集めて話を作りたいからパラ宿以外のプリパラをすべて滅ぼそうってなるの、相変わらず人の心がない。

 

『takt op.Destiny』

 スマホゲームの前日譚。保留付きで大絶賛できる(手放しで評価はできない)。ソシャゲにありがちな擬人化美少女ものの設定を上手に料理して見事なアニメに仕上げた作品。なまじアニメとしての出来がいいだけに、元のゲームの設定のトンチキ具合が目立ってしまうというか……。そこに目を瞑れば非常に面白いアニメだった。そういう意味で、このアニメは序盤の2話、3話を踏まえた上で「運命」を巡ってストーリーが進行する6、7、8話が白眉だったと思う。8話が実質的な最終回で、それ以降はゲーム本編に接続するためのおまけだったと言ってもいいかもしれない。まあ10話のレニーは結構かっこよかったけれども。

 物語の中心となっているのはコゼットという少女の死と、それと同時にコゼットの肉体に宿る形で生まれた「運命」というムジカート(音楽の精のようなもの)の話。周囲の人間は「運命」が存在するがゆえにコゼットの死を受け入れることができず、「運命」をコゼットに戻す方法を求めて旅を続ける。「運命」が独立した個人であると認めてしまうことはすなわちコゼットがもういないことを認めてしまうことになるわけで、そのためにコゼットの姉のアンナは「運命」に自分のことをお姉ちゃんと呼ばせ、「運命」のことをコゼットと呼ぶ。このちぐはぐな関係がもたらすドタバタ劇が序盤の見どころにもなっている。「運命」という個人の存在とコゼットの死をどう周囲の人間が受け止め、受け入れていくのかがこのアニメの中心的なテーマ。それ以外はレニーの水戸黄門活動も、天国と地獄の暗躍もみんな枝葉末節に過ぎない(断言)。

 1話は、あれをやっとかないと設定の説明や「運命」の活躍シーンが結構後になってしまうからあれで1話なんだろうけど、あれだけ見てもまたトンチキなアニメが始まったなあという感想にしかならない。舞台となるアメリカの風景がとてもきれいだったから続きを見ようという気になったけれど、そうでなければ切っていた。この時点ですでにゲーム設定由来の戦闘が退屈という欠点が露呈していると思う。

 6話、「運命」が自分の考えていることを率直に語る場面、ちょっとつたない感じが小学生の作文ぽくて、そこに成長というか発達というか、そんなようなものを感じられてとてもよい。

 7話、6話の時の止まったかのような老人たちの街が3人の間の時間を動かしたのか。6話の娘の死を認められない老婦人の狂気は「運命」をコゼットだと思い続けるアンナの相似形だったんだな。しかしいいアニメだなこれ。

 8話、「運命」の自我が発達してアイデンティティを得る話。同時に「運命」がコゼットではない独立した個人であることを周囲が認める話。タクトが運命と呼びかけるシーンは思わずほろりとしてしまった。

そういえば、7話までのEDの絵はコゼットとのあり得なかった旅路を描いたものなんだな。

 10話、レニーのネタ元はレナード・バーンスタインなのね。Wikipedia見るといろいろへぇーってなる。マーラーの曲が好きだったとか。おネエ言葉の由来っぽいものとか。

 最終回、いいクロスカウンターだった。紅の豚かな。終わってみると、「地獄」の狂気を装う姿もなかなかにいじらしいものだったなあと思ったり。